やあやあ! 過去日記3月
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2/29 開設しました
3/1 駄菓子屋高杉の思い出 3/2 保田くんとの登校
3/3 上山くんのあだ名 3/5 Numeriキャラバン2004オフレポ in神戸
3/7 リニューアルしました 3/10 カレーライスの男
3/11 もうすぐ春ですね 3/12 牛めし
3/13 耳をすませば 3/14 検索エンジンの悲劇
3/15 早朝のススメ 3/17 一人でできるもん
3/18 今日はテレビ漬け 3/19 シャンプー
3/21 魔の自販機 3/23 〜しながら
3/24 遊ワク・遊ビバ! 3/26 移転&タコ
3/28 うどん 3/29 タイトルなし
3/31 タイトルなし

3月の日記

2/29(日)開設しました

うるう年の2月29日、次の2月29日まであと四年


3/1(月) 駄菓子屋高杉の思い出

 いつの時代だって子供はお菓子が好きだ。インド人はカレーが好き、アメリカ人はジャンクフードが好き、ドイツ人はビールが好き、イタリア人はパスタが好きってのと一緒だと思う。いや違うかも

 最近のお菓子は、本当に多種多様だ。世間の高級志向によって、高くてもおいしいお菓子は売れている。しかし、子供たちのお小遣いは少ない。そんな子供たちにとって駄菓子は、安くて色々なものが買える子供たちの味方だ。

 今の時代では駄菓子というと、コンビニやスーパーでも買える。レトロブームなどもあって駄菓子屋を再現したようなお店などで買うこともできる。 

まぁ どこで駄菓子を買ったとしても、もちろん味は同じだ。けど、やっぱり趣ってものがないと思う。全国どの店舗でも同じような店構えで、自分達のいきつけのお店って感じがしない。

 そこには優しいおじちゃんやおばあちゃんがいない。駄菓子屋は少し古くなった民家が似合う。一体いつから売れてないんだ?と思うくらい怪しいお菓子があったりするのがいい。お金を払う時はバーコードでなく、職人技で素早く頭で計算してくれるほうがいい。通いなれた子供達をまるで孫のように扱ってくれるのがいい。 
 
 きっと駄菓子屋ってのは人との交流があったからこそ素敵な場所だったんだと思う。友達と「今日は何買う?」「これマジでうまいよ」「俺100円しかもってない」「うまい棒の新しい味が出てるぜ」とか会話をしたり。店のおじいちゃんおばあちゃんと雑談したり。「それあとで俺にもちょっとちょうだい」買った駄菓子を分けて貰おうとしたり、少ないお小遣いを握りしめワクワクしながら駄菓子屋の中を見て回った。 

 そしてみんなが思い思いに駄菓子屋を楽しんだものだ。三十円のパチモンのコーラを尻の方から開けて飲んでみる。うまい棒を全種類買ってみる。ビックリマンやJリーグチップスを小遣いの限り買ってみる。十円のガムを買ったら当たりがでて、もうひとつ貰ったらまた当たりがでて、そして開けてみるとまたまた当たりがでて、もういらない、もう満足、もう勘弁してってな具合になったり、駄菓子屋の中では様々な筋書きのないドラマが繰り広げられていた。
 
 僕のいきつけだった駄菓子屋は高杉青果という名前だった。高杉だから値段が高過ぎってわけではなく、青果とあるように、果物や野菜も少しだが扱っていた。古い民家でいかにも駄菓子屋という雰囲気を醸し出していた。店内は少し薄暗く、棚にはもちろん駄菓子たちが並んでいる。僕の当時のお気に入りは、うまい棒、ソースカツ、棒が二つ付いていて半分に割れるソーダ味のアイス、三十円のハ゜チモンコーラとポカリスエットあとチロルチョコとかだったと思う。
 
 高杉の隣には神社があり、そこが僕らの格好の遊び場だった。そこの神社は入ってすぐに、土の広場があってサッカーそして野球もすることができた。神社の石でできた鳥居をゴールに見たててサッカーを毎日のようにしていた。大体三対三とかでやっていた。今で言うところのフットサルみたいなもんだ。入り口の鳥居の方はゴールを許すと道路にボールが転がってしまうので、キーパーは命懸け。車にボールをぶつけてしまった時などは冷や汗ものだった。今考えると物凄く罰当たりのような気がする。ガシガシ鳥居にボールぶつけてたもんな。 

 そこでひとしきり遊んだ後、高杉に行って駄菓子やジュースを買うのが僕らの楽しみだった。夏には、アイスの冷蔵庫にチューチューが冷やされていた。汗をかき火照った体にチューチューの冷たさと甘さが染み渡る。一本二十円のチューチューであんなに幸せな気分を味わえたのだ。僕らは足繁く高杉に通っていたのでおじいちゃんとも仲が良かった。いつも帽子を被っていて、眼鏡をかけたおじいちゃんだった。僕らには,口やかましく何か言うこともなく、穏やかな人だった。だから、僕らは居心地が良かった。

 僕たちの間で一時期流行ったのがスティックのビーフジャーキーをストーブの上に載せた網で焼いて食べることだった。レジ横のストーブ近くに腰掛け、みんなでビーフジャーキーを炙りながら馬鹿話を楽しんだものだ。一見さんにはできない、「常連だぜ 俺たち」っていう感じも良かった。
 
 ある日突然高杉にネオジオのゲーム機がやってきた。駄菓子屋の中にドーンと現れたゲーム機。ファンシーなお菓子が並ぶ店内に重厚なゲーム機がそびえたつ。ゲームセンターに行かずとも高杉でゲームができるのだ。
 
 当時はゲームセンターと言えば、今のように明るい雰囲気ではなかった。ちょっと殺伐とした雰囲気があり、ゲームセンターは不良の溜まり場というイメージがまだあったように思う。僕も小学校の頃は、ゲームセンターの中に入るだけで妙な高揚感と緊張感を抱いたものだった。ゲームセンターにほのかな憧れを持っていた僕たちは、高杉にゲーム機がやってきたことを素直に喜んだ。幸い高杉はゲーム機が導入されても駄菓子屋のほのぼのとした雰囲気はなくならなかった。みんな友達同士でワイワイとゲームを楽しんでいた。当時人気のあった餓狼伝説なんかはおじいちゃん手作りのクリアー回数表みたいなのがあって、一部の猛者どもは100回以上クリアーしていた。
 
 今あらためて考えてみると、実はこのゲーム機の導入ってのが駄菓子屋の当時の実情をあらわしていたんじゃないかなと思う。僕たちが小学生の頃には今ほどの店舗数でもないが、コンビニもあった。駄菓子屋に行かなくともお菓子は買える。そして駄菓子屋は悲しいことだがおじいちゃんやおばあちゃんの目を盗んでの万引きも多いだろう。利益よりも、趣味を優先してやっている方も多いのだと思う。

 そんなところにゲーム機が現れた。当時は今現在のゲームの元祖とも言えるような名作ゲームが登場してきた頃だった。スト2 餓狼伝説 などだった。新しいゲームが導入されるとみんなが競うように遊んだし、稼働率も良かった思う。駄菓子を一人一人の子供が少しづつ買っていくよりも、ゲーム機のほうが儲けは多いだろう。

 僕たちは小学校を卒業するまで何度も高杉に通いつづけた。
 
 僕は中学校に入学しサッカー部に入った。サッカー部の練習は一年中ほとんど休みはなく、中学に入ってから高杉にどれくらい通ったのかおぼえていない。おぼえていないということは、やはりあまり行ってなかったのだろうか。小学校を卒業するとともに、駄菓子屋も卒業していたのかもしれない。

 小学校を卒業し、十年程経った。最近は、どこの街にいっても駄菓子屋を見つけるのが難しくなっていると思う。うまい棒は今でも健在なのに、駄菓子屋が減っているのは悲しい。
 今現在も駄菓子屋をやっているおじいちゃんおばあちゃんを見ると応援したくなる。そして、そこに通っている子供達を見ると嬉しくなる。コンビニがいくら増えようとゲームがどれだけ進化しようと、やっぱり子供達は駄菓子屋に行ってみれば、その魅力にとりつかれるだろう。今日も日本のどこかで100円玉を握りしめて子供達は駄菓子屋に向かって行く。そして、そこには優しいおじいちゃんやおばあちゃん、そして友達が待っているのだろう。 


3/2(火) 保田くんとの登校
 
 僕が小学校四年生になりたての頃、マンションの隣に住む一年生の保田君と朝一緒に登校していた。友達だったというわけではなく、小学校に入ったばかりの保田くんを一緒に連れてって欲しいと保田君のお母さんに頼まれていたからだった。 多分、僕がすごい頼りがいのあるナイスガイだったからだと思う。
 
 朝登校時間が近づき、隣の保田くん家のインターホンを押す。結構美人なお母さんとともに保田くんが黄色い帽子を被ってでてくる。僕の通っていた小学校は制服だった。よく友達に小学校は制服だったいうと驚かれるが、僕の所は紺のブレザーと短パン、帽子は低学年が黄色、高学年が制服と同じ紺であった。

 黄色い帽子を被った低学年の子を連れて行く僕、なんだか少しだけお兄さんになったような気分だった。

 保田くんと一緒に学校へと向かう。学校は山の麓にあり、道のりは複雑でもなければ、車もそれほど通らず、田んぼがあったり池があったりするだけである。別にそれほど危険ってわけでもない。

 しかし、保田くんを無事に学校へ送り届けることが僕の使命なんだ。途中でどんな敵に狙われるかわからない。その時は命がけで保田くんを守る。凡人では不可能、まさにミッションインポッシブル。

 特に何か会話するわけでもなく、とぼとぼと歩いていく。僕の印象では、保田くんは一見普通の男の子だった。すきっ歯でちょっと間の抜けてる所があるなと感じていたくらいだ。けど実際はそんなことなかった。というよりそんなもんじゃなかった。

 しばらくの時間歩いていると、他の通学途中の生徒達と遭遇することになる。皆楽しげに「昨日のテレビ面白かったよなぁ」とか「昨日男子がさー」なんて会話している。朝ののどかな小学生たちの通学風景だ。

 学校は山の麓にあるので、学校に近づくにつれ坂道が多くなってくる。前方に二人の女子がいた。突然保田くんは、僕のそばからスルスルと離れ女の子達に近づいて行く。どうしたんだろうと思った。

 そしたらな、保田君な「カンチョー」とか甲高い声で叫んでるの。
 でよくみたらスカートの上からお尻にカンチョーしてやんの。
 お決まりのカンチョーポーズを決めてやがるの。
 女の子は「キャッ」て言ってたけど、嫌がるよりも唖然としてたし、なによりも俺が呆然としてた。フリーズしてた。僕も友達同士もちろん男同士でならカンチョーしたことある。なのに保田くんは、知らない子、しかも女子にカンチョーだからな。

 僕には保田くんの保護責任があるわけで、保田くんが女の子にセクハラして、女の子が「あたし汚れちゃった・・・」なんて泣き出して訴えられたらたまらない。保田くんには、まだ責任能力がないから俺が監督不行届で責任を負うかもしれない。
 
 なんて深く考えるということはなく、僕は知らんぷりしてたね。保田くんなんて赤の他人みたいな雰囲気で颯爽と通り過ぎて行ってた。

 それからも保田くんの変態行為は続いた。カンチョーに加え、スカートめくりなど、もはや日常茶飯事。朝飯前。ある時にはいきなり、見知らぬ女の子と手をつなぎ、そのまま僕をほったらかして行った。保田くんにおいてけぼりをくらった僕、少し泣いた。

 朝に保田くんを迎えに行って、保田くんのお母さんが「いつもありがとうね」って言ってくれる時は胸が苦しかった。僕も「いえいえ」とその場では答えていたものの「お宅の息子さんは女の子にカンチョーしたり、スカートをめくって喜んでいます。どんな変態になるのか心配です。」なんて口が裂けても言えなかった。

 そんなこんなで僕と保田くんの朝のとんでもない登校は続いた。保田くんとはいつも朝の登校だけが同じだったのだが、たまたま僕とM君と保田くんで下校することになった日があった。

 僕は、帰り道の時は通学路以外の道で帰ることが多かった。保田くんはまだ通ったことがないだろうと思い一緒に連れていってあげることにした。

 僕たちは通学路を無視して、朝とは違う角を曲がり近道を進んでいった。この近道は、田んぼのど真ん中を通り抜けていくコースだ。車なんかもちろん通らない。夕日のなか、田んぼと水路があるだけの畦道を僕ら三人は進んで行った。

 僕とM君は水路を飛び越えたりしながら遊んでいたが、保田くんはどうも怖くてできないようだった。どうみても体の細いヒョロヒョロとした保田くんは運動神経が良いようには見えなかったが、僕とまっつぁんは保田くんに「飛んでみて」と要求した。けど、いくら頼んでも保田くんは飛んでくれない。断固として飛ばなかった。まるで頑固親父のように、僕らの要求に対して首を縦に振ろうとしなかった。
 
 僕たちも、なぜかわからないがどうしても保田くんに水路を飛び越えさせたかった。是が非でも飛ばせたかった。そこで、

「飛ばないと呪われるよ、マジで。 飛ばずに呪われて死んだ人もいるからね。」

ってもうすっごい子供騙しな事言ってた。

 まぁこんな事信じる人いないと思う。今考えると俺らすごい間抜けだよなって思う。水路を飛ばないと、呪われるなんて意味わかんない。こんなこと言ってた僕らの頭が呪われてたんじゃないかと思う。
 
 もう勘弁してやるかぁって感じで保田くんを見ると、半泣きになってた。いやいや、ありえないから。どんだけ恐ろしい事想像してんねん、どんだけイマジネーション豊かやねん、ってつっこみたかったけど、そこはぐっと堪えた。

 保田くんに呪い話が有効であることを確信した僕たちは、保田くんをじわじわと追い詰めていった。保田くんは呪われるのが余程怖かったのか半泣きになりながら、しかたなく水路を飛び越える決意を固めたようだった。
 
 僕らは水路の反対側に立ち、さぁ来いと保田くんを待ち構えた。 保田くんが見事に飛び越えたら「これで呪われずに済むなぁ 良かった 頑張ったな。」と褒めてあげようと思った。
 
 保田くんは、水路の淵で足にぐっと力を込め飛ぶ体制に入る。ぼくらは、固唾を呑んで見守る。そして、保田くんはまるで空を翔る天馬のように空中に飛び・・・・・あがらなかった。

 いやな、ジャンプ力足りなさ過ぎ。なのに助走せず飛ぶなんてありえない。水路に目を下ろすと保田くんが仰向けでいたね。ドーンと大の字で水路の中で仰向けになってた。水路は深さは一メートル位あるけど、水かさが十センチくらいなんで溺れる心配はないわけ。だけど、そこには泥だらけになった保田くんがいるわけ。もうね、急いで手を貸して引っ張りだしたね。背中なんか泥だらけ、けど前は結構綺麗。前から見ると綺麗な保田くん、後ろから見ると汚い保田くん。なんか人間の明と暗、光と影、善と悪をそこに垣間見たね。

 助け出したのは、いいけど泥だらけになってる保田くん。幸いランドセルとかは、畦道に置いていたので助かったが、そもそも晴れの日に、学校から家に帰る間にずぶぬれの泥だらけになるはずがない。きっと保田くんはお母さんにこっぴどく叱られるんだろう。そんなことを考えると、僕らもブルーになった。

 保田くんを家まで僕らはきちんと送り届けた。家の直前で何事もなかったかのように別れることもできたはずだが、それは僕ら高学年のプライドが許さない。保田君のお母さんにきちんと説明した。

「いやぁ、一緒に帰ってたら保田くんが急に水路に落ちちゃって」

と僕らの口が勝手に動いてたね。

 あぁ、ひどいひどすぎる。血も涙もあったもんじゃない。僕らが無理やり飛ばせたのに、保田くんの不注意のせいにしてる。保田くんはその時何も言わなかった。あの後どうなったかは、保田くんしか知らないし、僕も保田くんにその後の顛末は聞かなかったというより聞けなかった。
 
 時が経ち、保田くんも学校に慣れると一人で学校へと行くようになった。時折見かける保田くんは、やっぱりスカートめくりとかしていた。なんか風格とか漂ってたもんな。保田くんは結構学校内で有名になっているようだった。

 僕は、保田くんを連れて行かないようになってからは、ぎりぎりの時間に家を出て走って学校に向かって行くようになった。特にハプニングが起こるなんてことはなく、毎日同じような朝の通学だった。今思うと保田くんと一緒に学校へ行くのも、刺激があって面白かったと思う。

 まぁそんなことよりも、あの保田くんがどんな青年になっているのかがとても心配で夜も寝れやしない。
そういう理由でこんな夜遅くに昔の思い出話を書いているのだ。 現在の時刻 午前4時37分
 


3/3(水) 上山くんのあだ名
 
 あなたは、どんなあだ名を持っていますか?

 僕たちは友達に対して親しみを込めてあだ名を呼ぶ。単純に苗字をもじったものや、見た目からつけられたあだ名、エピソードからつけられたあだ名、とかそこにはそれぞれのあだ名の秘密がある。

 しかし、中にはすごく不本意なあだ名をつけられた人も多いと思う。年相応に見えないから親父と呼ばれたり、ゴリラみたいだからゴリとか、うんこしてるの見つかったからウンコマンとか。気の弱い子なら不登校、そこまでいかなくとも、誰も知らない辺境の学校へ転校したいとか、そんな悲惨な思いを味わった人達も少なくないはずだ。

 ちなみに僕はあだ名の多い方だと思う、少数の人しか呼んでいないものもあわせると、全部で5つはある。それぞれのあだ名に思い入れがあるし、そのあだ名で呼ばれると、当時の自分になれる気がする。

 小学校五年生の二学期に、上山くんは神奈川県から引っ越してきた。田舎者の僕たちからすれば、神奈川なんて大都会、そんなところからやってきたちょっとお洒落な雰囲気をもつ上山くん。上山くんはルックスが結構よく、髪の毛もサラサラしてていかにも関東って匂いがした。 

 そんな上山くんだが、結構気さくで面白いやつだった。すぐにクラスになじんだと思うし、女子からも人気はあった。

 僕たちにとって上山くんの話す、

「〜だよ」「〜じゃん」

という言葉が非常に新鮮で面白かった。上山君に最初につけられたあだ名はたしかダーヨ星人だった。”とんねるずのみなさんのおかげです”に出てきたダーヨ星人というキャラのしゃべりと上山くんのしゃべりがシンクロしたのだ。僕たちは面白がって語尾にダーヨと付けて上山くんをからかったりした。上山くんも「お前らなー」なんて照れていた。こんな冗談が言えるのも仲が良くなってきた証拠だ。

 僕は上山くんとよく遊ぶようになった。家にもよくお邪魔しにいった。飽きるほどスーファミをしたり、一緒に神社でよくサッカーをした。上山くんは音楽を聴くのが好きで、色んなCDを聴かせてもらった。上山くんは尾崎豊が好きだった。当時の僕らは音楽に関しては相当疎かったので、尾崎を聴く上山くんが格好よく見えた。上山くんの愛犬の散歩も一緒にした。可愛い妹や、まだ小さい弟とも仲良くなった。上山くんの弟は、たまにAVのあえぎ声の真似をしていた。末恐ろしい弟だと感じた。
 
 転校生だった上山くんもすっかりこちらの生活に慣れ、僕らと楽しい学校生活を送っていた。あいかわらず神奈川弁というか標準語は抜けていなかったけど、もうそんなことは何の問題もなかった。だってそれが上山くんなのだから。

 そんな幸せな日々の中、ある日僕は上山くんに対してとりかえしのつかないことをしてしまったのだ。

 それは二学期の終了日の出来事だった。僕たちは、通知表や提出した作文などを、先生から受け取っていた。
成績表を見せ合いながら、ある者は肩を落としたり、またある者は喜んだり学期最終日のお決まりの光景だ。

 すると、先生は二学期の間に撮られていた写真を僕らに配ると言った。先生が生徒の名前を呼び、呼ばれた生徒は写真を受け取りに行く。僕の元にも何枚か間抜けな顔をした僕が友達と一緒に写っている写真が配られた。写真の配り方は曖昧で、先生のさじ加減次第だった。

 友達同士でどんな写真を貰ったのか、見せ合いが始まる。その時、僕は上山くんが貰った写真の一枚を見て、「なんかこの写真の上山、インド人っぽい」って言った。 その写真の上山くんは光の加減なのか妙に色黒に映っていた。おまけに、なにかおでこに点のようなものが付いているように見える。
 
 それは偶然の産物なのだろうが、まさしくインド人ぽかった。続けざまに僕は、「インド人やから、ハーフや」とかそんなことを口走ってた。 男子たちが集まり、みんな面白がって上山くんの写真を見て、
「インド人やん! ハーフ!」と盛り上がる。 上山くんは苦笑いをしていたが、まさかこれが悲劇のあだ名へとつながるとは、考えもしていなかっただろう。

 この出来事以来、僕たちは上山くんをハーフとかインド人と面白がって呼んだりしていた。まぁただの冗談だし、今のような盛り上がりもいつしか消えるだろうと思っていた。そもそもこうなったのは一枚の写真のせいである。そして僕の責任である。いや、あの写真を上山くんに配った担任の先生に責任があるな。わざわざなぜ、あの写真を上山くんに配ったのか、運命のいたずらとしか思えない。
 
 それから数日間の内の出来事である。
子供達の思考回路ってのは、やっかいなもので上山くんのあだ名は

 ハーフ → ニューハーフ → ホモ

へといつのまにか進化していた。おいおい連想ゲームじゃないんだから、それにしても間抜けな連想だと思う。

 インド人からいつの間にか最終形態ホモへと進化。意味わかんない。インド人から最終的にホモへと進化するなんてありえない。神のみぞ知るって言葉があるけど、神様もこんなことになるとは知る由もなかっただろうし、何よりも上山くんが一番知る由もなかっただろう。

 僕の何気ない「インド人」という一言が、上山くんをホモにしてしまった。男子だけならまだしも女子にもホモとか呼ばれてからかわれてたもんな。

 上山くんの家で遊んでいたある日、上山くんのお母さんが、ホモと呼ばれているのを偶然耳にしたらしく,
母親に「なぜ、ホモって呼ばれているの?」と聞かれたことがあったらしい。そんなの説明するのも馬鹿馬鹿しいし、何て言っていいのかわからない。 上山くんは、架空の人物をわざわざつくりあげ話をこじつけ、なんとかお茶を濁すことに成功したようだった。

「親に聞かれて、マジで困ったんだぜー」

ってすごくやるせない表情で僕らに訴えかけてきたもんな。僕のせいで、色々と迷惑をかけてしまった。なのに、僕の名前を出さずにかばってくれた上山くん。もう思い出すだけで、涙が止まらない。涙が滲んで前が見えない。

 僕らと上山くんは本当にたくさん遊んだ。本当の上山くんのあだ名はちゃんとあって、苗字をもじった単純なものだった。ホモとかインド人て上山くんを呼ぶこともいつの間にかなくなっていた。しかし実は、こんなに仲良くなれたのはもしかしたら、あのあだ名があったからかもしれない。あのあだ名が僕らと上山くんを冗談の言いあえる気さくな仲間にしてくれたのだと思う。僕らの友情の一つの証があのあだ名だったんだ。

 上山くんは、小学校卒業とともにまた、関東へと転校することになってしまった。僕は、友達二人と少ない小遣いを出し合って、地元の観光名所が描かれた金色のテレホンカードを上山くんに渡した。それくらしかできなかったけど、それが僕らにできる精一杯のことだった。上山くんとは、二年にも満たない短い付き合いだったが、その間十分楽しい思い出がつくれた。

 そういえば、僕は上山くんに借りっぱなしのカセットテープをいまだにもっている。何の曲が入っていたか詳しく思い出せない。久しぶりにひっぱり出して今度聴いてみようと思う。

 あだ名ってのはやっぱいいもんだと思う。お互いの仲を深めてくれる不思議な力を持っている。
けど、ただひとつ言えるのはホモとかニューハーフなんてあだ名、まじでありえない。


3/5(金) Numeriキャラバン2004オフレポ in神戸

いよいよ待ちに待ったNumeriキャラバン2004 in神戸。僕はまだ見ぬ生patoさんと来るであろうキュートな婦女子ヌメラー達に対して期待を膨らまし、ついでに変棒も膨らませていた。

神戸の集合時間は7時、徳島から来ることを考えるときっとpatoさんは遅れてくるとたかをくくっていた。7時ちょうどくらいに着けば余裕だと思っていた。

僕は7時ちょうどにJR神戸駅に着いた。キリン像の正確な場所を知らなかったので、所々に設置してある地図を参考にキリン像まで歩いていった。きっとたくさんのヌメラー達が鬼のように携帯を凝視しながら異常な雰囲気でpatoさんを待っているのだろう。しばらくすると、キリン像が僕の視界にはいった。

ん・・・? 誰もいない キリン像の周りに誰もいない 人っ子ひとりいない

この時、僕の頭に不安がよぎった。これまでのキャラバンでも、他地域の掲示板を見ているとpatoさんを見つけることができずに泣く泣く帰ったという書き込みをいくらか見かけていたのだ。

もしかしたらpatoさんは異常に早く神戸に着いていたのかもしれない。

ハーバーランドのありえない強風の中、人のいないキリン像の前で身も心も寒風に曝され僕は泣きたくなった。

7時からまだ5分しか経ってないのに、もうどこかへ消えてしまった。「patoさんのウンコ、ばかやろー」心の中で叫んだ。

恋人達の集うハーバーランドまではるばる一人で来たのにこのまま帰ってたまるか!

僕はハーバーランドの隅から隅までそしてあんなところまで、レイプする勢いで探し回ろうと思った。

僕の意気込みとは裏腹にあっさりとヌメラーの集団を見つけた。キリン像から建物を挟んで裏側の広場にすごく人が集まっていた。あんな集団ヌメラー以外の何者でもない。

patoさんは気さくなお兄さんて感じだった。ケミカルウォッシュのジーンズではなく、濃いデニムを履いていた。強風に吹かれたお札が水路に落ちるハプニングがありながらも無事に本の販売は終了。手に入れたぬめり本は、とってもステキング。お洒落な人やセレブな人のマストアイテムになるであろう出来の良さ。

さぁ次は飲み会だ。帰宅されていく人、いつの間にかフェードアウトしていく人。ふるいにかけられ、それでも残った精鋭たち、そこには驚愕の事実が

全員 男

いや神戸って言ったら神戸巻きのエレガンスな女性とかいるんじゃあ・・・

冷静になってよくよく考えてみると、神戸会場に集まったヌメラー達は九割は男だった。女性参加者がいないのも頷ける。

ハーバーランドを後にして、三宮へと移動した。呼び込みのおじさんにpatoさんは声をかけられている。なんかボクサーのセコンドでもやってそうな少し怪しい人だった。聞くところによると、まぐろ専門のお店らしい。しかも予約なしに16人が入れるという。patoさんの「マグロ食べられない人いる?」との呼びかけに誰も反応しなかったので、その店に決まった。

お店は地下一階にあって、こじんまりとしていた。僕たちの他には、二名の客がいるだけだ。

メニューはまぐろのお店と言っていたように、まさにマグロオンリー、お通しにマグロ、から揚げもマグロ、お茶漬けにもマグロ、酢豚のような酢マグロ。

マグロ祭り、マグロボンバイエ、マグロ地獄。一つの事を極めるのは良いことだと思うんだけど、何か間違ってると思った。何食べても、やっぱりマグロの味がした。当たり前だけど。

「またマグロか」「またmaguroか」
店員さんにばっちし聴こえてた。

patoさんは、Numeriやラジオの印象とおんなじでした。人を惹きつける魅力があるんだなぁって実感しました。昔ハーバーランドで行われたキチガイじみた鬼ごっこの話。高松の女子高生の制服が今いちばんアツイという熱弁。これまでの旅の話など、本当に楽しませてもらいました。patoさんレモンチューハイをグビグビ飲んでました。

某サイト管理人さんとpatoさんの掛け合いもすごく面白かったです。patoさんがちょっと天狗な発言やアレな発言をすると
「はい、みんな 今の発言サイトに書いて」
すごい仲良いのが伝わってきて羨ましく思いました。

飲み会終盤になってpatoさん曰く神戸ジェンヌこと工場長さんが現れて、男だらけの飲み会に潤いを与えてくれました。

もうそれまでは、若い生娘の店員がいる中、ソープだ キャバクラだ ヘルスだ ヌキありだ なしだ という会話が飛び交っていたのがピタっと止まりましたからね。

終電近くなってくると、徐々に1人2人と抜けてお帰りになられる方がいました。男気あふれるpatoさんは、先に帰られる方に「御代は気持ちでいいから」とか言ってました。渋すぎます。

12時をまわり、patoさんの「そろそろ行きますか」の一言で楽しいオフ会も終わりました。

名残惜しいですが、お愛想に向かいます。最後まで残っていたのは僕を入れて七人でした。

合計の金額から先に帰られた人たちから預かったお気持ち分の代金を引きます。そしてそれを最後に残った七人で割ります。

飲食代−お気持ち÷七人の侍=答え

答え=約7000円=ありえない 

本の1000円をプラスすると8000円です。僕には1000円救済措置がほどこされたので7000円でした。7000円と少々高くついたオフ会ですが、僕は十分に満足できました。今こうしてサイトを開設して、オフレポを書いているのは、patoさんあってこそ、Numeriあってこそだからです。patoさんそしてヌメラーさん達とまた会う機会があるのなら、是非参加したいと思っています。 

*patoさんオリジナルな表現とか使わせてもらいました。途中から文体変わってますけど、知らん振りしてください。最後まで読んで頂けた方ありがとうございます。

以上でオフレポ終わりです。


3/7(日)ニューアルしました

サイト開設して一週間ですが、リニューアルとなりました。前回はフレームを使用していたんですが、今回からやめることにしました。

初めてのHPなんで、ホント恐ろしいくらいに知識がないわけです。リニューアル前のサイトはNetscapeで確認するとメニュー側の文字がおもいっきし文字化けしてました。

こんな感じで → ホ、鬢ハ、ォ、テ、ソ

他にも行間が異常に狭く、非常に読みにくかったと思います。本当に申し訳ありませんでした。

リニューアルの結果、シンプルに成り過ぎた感がいなめません。下にスクロールしてもらえばわかると思うんですが、もはやサイトというよりただの文章の羅列になっております。枯れ野原みたい

ああそういえば、昨日めちゃイケ見逃してしまった。ヨモギダ少年愚連隊楽しみにしてたのに・・


3/10(水)カレーライスの男

食べ物の中で好きなものを挙げてみて、と言われたら僕はかなり早い順番でカレーライスを挙げる。外に出て食事をするとき、メニューを見て迷うときは大体カレーライスかもしくはカツ丼に落ち着くことが多い。 

カレーライスとひとくくりにいうけれど、味付けはそれぞれ千差万別。同じものなんてないんじゃないのだろうか。単純かつ奥の深い食べ物それがカレーだ。

家庭の味、給食の味、お店の味、学食の味、それぞれが違う味わい異なった雰囲気を持っている。カレーの中には、野菜や肉や香辛料以外にもそれぞれの思いが入っている。

我が家のカレーは親父がつくるカレーだった。普段は料理をほとんどしない親父だが、カレーだけは親父の出番。親父の晴れ舞台。市販のルゥをブレンドさせただけのカレーだったが、やっぱりそれが我が家のカレーで独自の味だった。

家のカレーと言えば、何度もおかわりできるのが一番魅力的だ。僕はよく運動して腹を空かせていたことが多かったので、カレーのおかわりは毎回三度くらいしていたと思う。僕がおかわりするのを見て親父は

「そうか 旨いか、うんうん やっぱり俺のカレーは最高だな」

って自己満足の顔をしてたね。っていうかまずいカレーをつくるほうが難しいけどな。

給食のカレーは、なんといっても子供達の大人気メニュー。給食の献立を配られて、カレーの日を即座にチェックする。

カレーの日はおかわり合戦の戦場となる、女子供はすっこんでろ。男どもはいち早くカレーをたいらげ、おかわりに向かったものだった。また、盛り付けの際に自分の量が少ないとか言う輩がいたりして、子供達のカレーにかける意気込みみたいなものを感じたね。

給食のカレーは、ドロっとした感じが好きだった。じゃがいもがほどよく煮溶けていて、その感触がたまらない。あの味は給食以外で出会ったことがない。ご飯にかけるも良し、カレーの中にご飯を入れるも良し。カレーは給食の王様だった。

お店のカレーに関しては、それほど知ってるわけでもない。僕が印象に残ってるのは小さなお店で食べたサラサラとしたチキンカレーだ。しばらく待たされた後に出てきたチキンカレー。サラサラのカレーってのはそれまでほとんど食べたことがなかった。スパイシーに味付けされた香りの良いサラサラのカレーが良くご飯に絡んで美味しい。今までカレーといえば、オーソドックスなものしか食べたことがなかったため、感動したなぁ

そして最後に、高校の学食のカレー。実はこれが僕にとって一番の思い出のカレーかもしれない。僕の通っていた高校の食堂は、メニューがさほど多くなかった。大まかにジャンルをわけるとすると、四種類くらいだろうか。カレー、うどん、日替わり定食、丼物というラインナップだ。その中で僕が一番多く食べたのがカレーだった。

昼休みになるとダッシュで食堂へ向かい、食券販売の機械の前に並んだ。遅れていくと、行列のできる店みたいな感じになって、すごく待たないといけなかった。

220円のカレー、色の濃い少し辛目のカレーでこれが毎日食べても、不思議と飽きたと感じたことはなかった。ミニラみたいな顔したおばちゃんが盛ってくれるカレー。そしてプラス40円するとそれがカツカレーになる。プラス40円のカツカレーだが、これがまた悲しいくらいに薄い薄いカツ、いったんもめん並みにペラペラで涙を誘うのだが、この薄っぺらいカツがあなどれなかった。いやなんかね、スゴイいい味出してやんの、衣もカリっとしててカレーとよく合うのよ。
 
時には日替わり定食やうどんに浮気しながらも、僕はカレーを高校三年間食べ続けた。普通の人の一生分はカレー食ったんじゃねぇのていうくらいカレーを食べたと思う。

最近は、自分でカレーを作ったりする。玉ねぎを飴色になるまで炒めてみたり、ガラムマサラとかクミンとかナントカカントカを加えてみたり、隠し味にインスタントコーヒーを加えてみたり、自分なりに美味しいカレーをつくってみようと奮闘中である。

毎回つくりすぎて、三日連続くらい毎食カレーになってしまう。カレー戦場の狼。カレーを食べてはまた、次のカレーが僕を襲ってくる。まぁけど、僕はカレー大好きだから大丈夫。その後しばらくカレーはいいやってなるけどな。いくら好きでも三日三晩カレーはキツイ。

カレーっていうのは、すごく庶民的な食べ物だと思う。外国から伝わってきたものなんだけど、もう立派な日本の家庭料理だ。僕がカレーを好きなのは、美味しいからというのはもちろんのこと、カレーのもつ温かな雰囲気が好きなんだろう。

最後にタイトルのカレーライスの男ってのは、ソニンのカレーライスの女のオマージュなわけです。いいタイトルが思いつかなかった。ちゃんと聞いたことなかったので、どんな歌詞なんだろうと思って検索したわけですよ。そしたらカレーって言葉は全く出てこない。カレーライスのレーの字もなかった。っていうかそんなことより、ソニンの裸エプロン凄いな。あんな姿でカレーつくってたら、それをおかずに白米3合はいくね。カレーなんかいらない。

なんか最低の終わり方ですけど、今日はこの辺で。


3/11(木)もうすぐ春ですね

春は出会いと別れの季節。けど僕にとっての春は花粉症の季節。

僕昔から花粉症もちなんですよ。花粉症はキツイですよね。目はかゆい、鼻水はジョルジョルと出る。小さい頃なんかは自制心など皆無ですので、心の赴くままに鬼のように目をかいてました。もう目がとれるくらいに掻きむしってた。本当、「目玉を取り出してゴシゴシ洗えたらいいのになぁ」とか意味不明なこと考えてました。

花粉症のせいで目ヤニも凄い出るんですよ。朝目が覚めても光が見えなくて、???と思ったら、目ヤニがパリパリに乾いて瞼をふさいでたこともありました。

鼻水も厄介なんですよね。昔、僕は学校にティッシュ持っていってましたね。ええ、箱ごと。僕の机の上にはエリエールとかスコッティとかのティッシュが装備されてました。休み時間とかは遠慮なく鼻かめるんですけど、授業中に ブビビビィー とか変なサウンドを奏でるなんて上品な僕はできないじゃないですか。だから鼻の穴にティッシュとかつめて授業受けてたこともありました。

困ったのは、ティッシュがなくなってしまった時。ティッシュがあろうとなかろうと容赦なく鼻水は出てくるわけで、最悪の場合ハナタレ小僧みたいになってしまうわけです。

僕の場合、花粉症の鼻水ってのは普通の鼻水よりサラサラしてて、垂れてきやすいんですよね。
ある時、ティッシュがないにもかかわらず、鼻水が臨界点に達しそうでした。もういつ溢れてもおかしくない、綱渡りのようなあやうい状態でした。

考えに考え抜きました。
「どうすればこの状況を打破できるのか」
答えは簡単なことでした。
「答えは僕のすぐ傍にあったんだ」

ええ、制服の袖でこっそりと拭きました。

やっぱ誰だって自分が可愛いじゃないですか、ハナタレ小僧とか言われたくないじゃないですか。もう背に腹は代えられないってことで最終手段として袖で拭いたわけです。もうわんぱく小僧顔負けです。

鼻水を拭いた袖が、テカテカになってて「いつの時代の田舎の子供やねん」って感じました。

今年は例年に比べると花粉の飛散量が少ないようで、悲惨な目には遭わなくてすみそうです。花粉症さえなければ、春はいい季節なのになぁ


3/12(金)牛めし

夕方にお腹がすいたので、吉野屋か松屋行こうと思ってたんです。
「よーし豚丼食べちゃうぞー」
って意気込んで、ママチャリでキコキコと駅前まで行ったんです。そこの駅前は、道路を挟んで吉野屋と松屋が向かいあってるんですよ。

僕としては最初セール期間中ということで吉野屋行こうかなと思ってたんで、松屋の前を通りすぎようとしてました。そしたらですね

牛めし再開

と張り紙があったんですよ。そういえば、ニュースで見たなと思い出しました。僕はなぜかわかんないですけど、東京とかで店舗限定なんやろなーって勝手に思い込んでたんですよね。
そして僕は吸い寄せられるように気づいたら松屋に入ってました。時間帯が少し早かったので、店内は意外と空いてましたね。食券販売機のとこへ行くとありました、ありました、牛めし390円

高くなってますやん。100円値上がりしてますやん。

家に帰ってから調べてみると、どうやら牛肉は国産とオーストラリア産を使っているようです。牛めしを復活させて欲しいとの要望が消費者からかなりあった模様で、松屋は必死に牛肉を確保したみたいです。ご苦労さまです。

話を戻して、松屋は俺の庭だぜという雰囲気を醸し出しながら、優雅に牛めしの食券を購入しました。それだけにとどまらず、デフォルトでついてくる味噌汁を豚汁に変更できるという、その名もとん汁変更券なるものを購入するというわんぱくっぷり。

久しぶりに食べる牛丼は、やっぱりいつもの味で美味しくいただきました。けど今は、このいつもの味を普通に楽しむことができなくなっていますよね。BSEや鳥インフルエンザによっていつもの味が食べられないってのは寂しいもんです。

動物はやっぱり生き物ですから、病気にもなったりしますよね。最初から、牛肉や鶏肉として存在してるわけじゃないんですから。僕らは安全に食べることができるのがこれまで当り前だと思ってたわけですけど、それって生産者とかの努力によってのものであって凄くありがたいことだったのかなとか思いました。

特に最近養鶏業者の方は大変なようで、政府には最善の対策を早く施してもらいたいものですね。

今日は、最後に写真を載せて終わりたいと思います。


友情出演:ザクU(BANDAI) thnx!

3/13(土)耳をすませば

昨日の金曜ロードショーの「耳をすませば」を見た人はどれくらいいるんでしょうね。
僕は「耳をすませば」が本当に好きでもう7回くらいは見てると思います。僕が中学生の頃リアルタイムで映画館で上映されていました。その当時は女の子向けっぽいなぁと思って興味なくて見なかったんですよ。

高校生の頃、昨日と同じく金曜ロードショーで放送されているのを初めて見たわけです。見終わった後は何ともいえない爽やかな感動を受けてこの作品が好きになりました。

物語の主人公は中学生の雫と聖司で、当時の高校生の自分を重ねて見ていましたね。青春時代の甘ずっぱい思い出というか、青くささというか、ストレートでとっても良いじゃないですか。

大人の人であれば、ああ自分もこんな時代があったなぁと自己投影できます。中学生や高校生ならば、物語の登場人物に対して、まさにリアルタイムの自分を重ね合わせて見ることができるじゃないですか。他の派手なアクション映画やファンタジー映画では、主人公を自分に置き換えるというのは難しいと思いますが、耳をすませばならできると思います。それがこの作品の一番の魅力なのではないでしょうか。

「耳をすませばを見ると、恋がしたくなる」
と友達が言ってたんですけど、僕も同感です。
ちなみにその友達、可愛い彼女がいます。クソッ 人でなし そんなこと言う資格すらないわっ

この「耳をすませば」で出てくる、カントリーロードもとても好きな曲です。映画の劇中では、オリビアニュートンジョンと雫が作詞した二つのカントリーロードが出てきますよね。雫が作詞した歌詞と原曲の歌詞と違うところは強く生きていこうと応援のメッセージがあるところです。これは雫や聖司の夢を追いかける物語にあわせて作詞されたんでしょうね。

原曲と劇中の二つのカントリーロードで共通するのは、故郷を思う気持ちです。またこれが耳をすませばの作品にあってますよね。”故郷は遠きにありて思うもの”という言葉が頭に浮かびます。

日本人もアメリカ人も故郷を思う気持ちというのは、同じなんでしょうね。故郷の両親や友人や街並みを思い出して懐かしく思う。故郷ってのは昔の思い出が集まる場所ですから、故郷を懐かしむというのはつまり昔の思い出を懐かしむことなんですよね。昔の思い出によって今の自分が形成されていて、そして支えられている。

耳をすませばが、中学生の物語であるにもかかわらず幅広い支持があるのはカントリーロードの曲が一役買っているんじゃないでしょうか。

ちなみにカントリーロードは、劇中のオープニングで流れるオリビア・ニュートン・ジョンのオリジナル曲ではありません。原曲はジョン・デンバーです。オリビアの方がどちらかというとポップな感じで原曲のジョン・デンバーはカントリーミュージックそのものという感じです。

ちなみにこちらでジョン・デンバーのカントリーロードを聴くことができます。どうぞ耳をすまして聴いてみてください。

あとがき   耳をすませばについて僕の主観で書いてみました。映画って色んな観かたがあると思いますし、感じ方も変わってくると思うんです。まあそれでいいじゃないですか。


3/14(日)検索エンジンの悲劇

どーもこんにちは、banです。
YaYa!はまだまだ開設二週間のひよっ子サイトですが、よろしくお願いします。

閲覧してくださる方はまだわずかですが、本当に読んでもらえて嬉しいものです。
サイト運営の参考のために、アクセス解析をつけています。ブラウザやディスプレイの解像度などの解析結果を参考にサイトをつくり直したりしました。やっぱり誰にでも見てもらえるサイトにしたいじゃないですか。そういうわけでアクセス解析を活用させてもらっています。

最初に述べたようにこのサイトはまだまだひよっ子な弱小サイトなわけです。検索エンジンからの訪問とかは全く皆無なわけなんですよ。サーチエンジンの登録なども済ませたわけですが、しばらく時間がかかるようです。これまでgoogleなどで検索しても1つもヒットしないわけです。泣きそう。

そしたらですね、今日ついに検索エンジンからの訪問者が来られました。いらっしゃいませー
さて、どんなキーワードでこのサイトに来られたのでしょうね?もうドキドキですよ。夢工場ドキドキパニック!←(昔持ってました)

おそるおそるリンク元を辿ってみました。その結果が下の画像です。

女の子にカンチョーて

いや、そんなこと僕書いてないっす。下の日記とか見たらわかると思うんですけど、ソクラテスとかニーチェとかアリストテレスとか哲学のことばかり書いてるじゃないっすか。3月2日「保田くんとの登校」とか聞くも涙の話ですよ。ちょっとみんな読んでみてください。

すいません、3月2日の日記に「女の子にカンチョー」って書いてました。

いやーそれにしても初めての検索エンジンからのヒットが「女の子にカンチョー」だなんて、口が裂けても言えません。指がちぎれても書けない。そっと僕の胸の中にしまい込んでいたい。

ところでこのキーワードで検索して来られた方は、お目当てのものが見つかったんでしょうか?おそらく求められているものはこのサイトにないと思うんですが。

初のヒットを叩き出したキーワードが「女の子にカンチョー」とは、このサイトの未来が危ぶまれます。下の方とか見てくださいよ。ちゃんと真面目な日記も書いてますから。

というわけでこれからもよろしくお願いします。


3/15(月)早朝のススメ

どうもbanです。突然ですが、僕はバイトでコンビニの夜勤をしているんですよ。そういわけでいつも早朝に家に帰宅しているんです。夜勤が終わるのが朝6時ですんで、人のいない朝の街をひっそりと帰ってるわけです。

昨日の夜から今日の朝6時まで、馬車馬のように働いてました。バイト終わってからまずビール買ったね。そして事務所兼バックルームでプシュッとかいい音させてビールを開けてたんです。そして廃棄商品の子持ちししゃもをつまみながら朝からビールですよ。最近のコンビニは惣菜とかも色々あるんです。だし巻き玉子とか肉じゃがとかあとホッケとか。それにしてもホッケて。「そうだコンビニにホッケ買いに行こう」なんて人いないと思う。

朝からビールを飲む駄目人間っぷりを発揮しつつ、愛車のママチャリで家へと帰ります。

早朝の街っていうのは、ホント昼の街とは全然雰囲気が違うんですよね。人はほとんど見かけませんし、空気も何かこうピーンと張り詰めてとても澄んでいます。

途中でネコが必死に爪を木で研いでました。親の仇といわんばかりに一心不乱に爪を研いでた。思わず写真を撮りたい衝動に駆られつつもスルー。

そして次に見かけたのがラジオ体操をしているおじいちゃんとおばあちゃんの老夫婦でした。だだっ広い運動場でたった二人でラジオ体操をしてました。携帯ラジオを持っていたんでしょうか?かすかにラジオ体操の音楽が聴こえてきました。なんかほのぼのした気分になりました。

ちらほらと朝早くから会社に向かうサラリーマンの姿も見えます。朝早くからご苦労さまです。

まあこんな風に色々と観察しながら、ゆっくりと早朝の街を帰っているわけなんですよ。朝焼けもとっても綺麗で思わずトシちゃんばりにハッとします。

早朝の街っていうのは本当に昼の街とは、別人の顔をしています。みなさんも早朝の街をちょっと散歩してみると楽しいと思いますよ。


3/17 一人でできるもん

さっきコーラを買いに行ったら夜風が暖かく、春なんだなぁと思いました。
今日は風が強かったですね。春一番というやつですかね。

ささいな事で自分が大人になったんだなぁと思う時があります。それは一人でご飯を食べに行く時です。(牛丼やファーストフードを除く) 自分の食べたいものを一人で好きな時間に食べに行く。落合監督風に言えば、俺流。

昨日は近所のラーメン屋に行きました。そこのお店はなかなかの繁盛店で、よく行列ができています。というわけで、僕は午後6時と少し早めの時間帯に行くんですよ。案の定お店はまだ空いていて、というより僕一人でした。お店の中は赤で統一されていて食欲がそそられます。

昼からまとな食事をとっていなかったので、腹と背中がくっつくんじゃねぇのって感じでした。僕はいつも通りラーメンとチャーハンを頼みました。ラーメン屋のチャーハンって美味しいですよね。材料とかは特別なものを使ってるようには見えないので、やっぱ火力の違いなんかなぁ。

そしてラーメンですよ。そこのラーメンはしょうゆトンコツ味でやや細めのストレート麺です。チャーシューもたくさん入っていて、初めて食べる人はラーメン頼んだのにチャーシュー麺が来たと思うかもしれない。コッテリとしてて独特の味なんですが、癖になる味で旨いんです。僕はすりおろしにんにくを少し加えます。

麺を食べ終え、スープを飲んでいる頃には腹一杯になりました。ごちそうさまと店を出て行こうとすると、いつの間にかお店の中にたくさんのお客さんがいました。やっぱり早く行って正解だった。

こんな風に一人で外食してると、ふと「大人になったんだなぁ」とか一人で思い込んでます。けど飲み屋とかはまだまだ一人では行けません。ということはまだ一人前とは言えないな。

飲み屋で哀愁を漂わせながら、一人わびしく酒を飲む大人達。ちょっと格好いいじゃないですか。
そんな憧れをもっているんですが、実際のところはどうなんだろう。ただ単に誰も相手をしてくれないのが理由だとしたら泣きそう。もう涙が滲んでディスプレイが見えないので、今日はこの辺で。

昨日食べたラーメンです

雑記: 昨日のサッカーのレバノン戦、大久保よくやった。レバノンが勢いに乗る前に、あのタイミングで点を取ったのは素晴らしい。昨日負けたら予選通過は絶望的でしたからね。本当最高のゴールだったと思います。


3/18今日はテレビ漬け

五輪代表勝って良かったなぁ 本当は最後まで息を飲むような展開を期待してたんだけど、それは贅沢な悩みか。アナウンサーがやたらと谷間の世代ってのを強調してたのがうるさかった。谷間は胸の谷間だけで十分。

次はA代表のシンガポール戦。UAE戦とバーレーン戦で決定的な仕事をした大久保は招集されるんですかねー。もし召集されたら、大久保と久保の久保コンビが見たい。小久保っていう選手がいたら、夢の久保トリオが完成するのになぁ。巨人から連れてくるしかないな。

白い巨塔が終わってしまったのは残念。久しぶりにドラマを毎週欠かさず真剣に見たと思う。田宮二郎主演の白い巨塔も見てみたいと思った。


3/19 シャンプー

今日髪を切ってきました。これでタモさんに会ったら「髪切った?」って聞かれることができます。

髪を切るのって気持ちいいですよね。サッパリとしてなんだか少しだけ生まれ変わったような気になれます。

僕のいきつけの美容院は僕にふさわしくない小洒落たところなんです。お店の前にクルクル回るやつもありませんし、散髪と言わずにカットと言うのです。シャンプーだってうつ伏せじゃなくて、仰向けなんですよ。もう時代の最先端を突っ走ってるね。

お客さんも女性が大多数を占めているんですよ。店員は服のセンスも顔も格好よく、受付のお姉さんも美人、お客さんもキュートな女性が多いんです。僕には場違いで非常に肩身が狭く、いつも半泣きになりながら髪を切ってもらってます。

僕にとって髪を切るときの最大の楽しみは、シャンプーをしてもらうことです。普段毎日のように自分で頭を洗っているのに、なぜ人にシャンプーしてもらうのはあんなに気持ちがいいんだろう。

美容師さんのテクニックも一つの要因だと思うけど、人に頭を洗われるという非日常的な部分が精神的にとても心地良いと感じるんだろうなぁ。

仰向けになって目を閉じていると思わず、寝そうになってしまうもんなぁ。シャンプーの匂いも、水の流れる音も全てが心地良くて本当に幸せな気分になれます。

シャンプー専門店とかあったら、僕は間違いなく行くね。500円から最高1000円位までなら出せる。というわけでシャンプー専門店について考えてみました。

・店内は間接照明で落ち着いた雰囲気
・リラックスできる音楽
・シャンプー終わったあとにドリンクがついてくる *ドリンク代込み
店員がキュートな生娘 *料金追加で好きな生娘を指名できる

コレどーですか。繁盛間違いなし。東証一部上場も夢じゃない。特に4番目の条件が重要。「仕事に疲れたサラリーマンが癒しを求めてシャンプーへ」なんて新聞の見出しを飾るかも。

いつの間にかシャンプー専門店とかわけわかんない方向に話が飛んでしまった。何が言いたいかというと僕はシャンプーしてもらうのが大好きだってことですよ。本当シャンプーしてもらうのって気持ちいいですよね。


追記
そういえば、機械のシャンプーってあるじゃないですか。はっきしいってあれは良くない。なんかくすぐったくてたまらないし、やっぱ人に洗ってもらう方が断然気持ちいいですよ。

3/21 魔の自販機

ちょっとタバコを切らしたので、外に買いに出たんですよ。ついでに喉が渇いていたので、飲み物も買っていくことにしました。家の冷蔵庫の中には基本的に飲み物がないのがデフォルトなんですよ。たまに牛乳とビールとかがあるくらいなもんです。だから普段は豪快に水道水を飲むか、お湯を沸かしてインスタントコーヒーを飲むことが多いですね。

これが魔の自販機だ

何を買うか非常に迷ったんですが、「やっぱりタバコにはコーヒーだぜ」と思って500mlのペットボトルのコーヒーを買うことにしました。150円を投入して、白魚のような僕の指でボタンを押しました。

そしたらですね、ズゴンッ

と通常よりも豪快な音をたてて、飲み物が取り出し口に落ちてきたわけなんですよ。やけに勢いがいいなぁと思ったんですが、気にせず取り出し口に手をさし伸ばしました。

あれ、 あれれ、 取れねぇ

うそーん。なんかペットボトルが、取り出し口のカバーみたいなのに引っ掛かって取れないんですよ。すぐそこに飲み物があるのに取れない歯がゆさ。僕は強引にグイグイと引っ張るんですが、びくともしない。

もうね、泣きながら帰ろうかと思ったんですが、ここで逃げて帰ったら男が廃るってもんです。「絶対に奪いとってみせる」と下手な不倫恋愛ドラマみたいな決意を持って、自販機に立ち向かったんです。取り出し口に指を突っ込んでウリャウリャと必死に愛しのマイペットボトルを手に入れようと頑張ったんです。多分知らない人がみたら、すごく怪しかったと思う。一人で自販機と必死に格闘する姿はかなり情けなかった。

僕がペットボトルを取るか、自販機が僕の指をもぎ取るか、っていうくらいの熱いバトルでした。殺るか殺られるかの紙一重の勝負ですよ。僕が自販機ごときに負けるわけにはいきません。なんていうんですかね、火事場のクソ力ですよ。必死にゴリゴリとペットボトルを引っ張りました。

そしたらブリンッと取れたんですよ。そうです。僕が勝ったんです。

熱いバトルでした。心の中で「ナイスゲーム」と呟きます。戦った者同士しかわからない、熱い友情みたいなものが僕と自販機の間に芽生えてたと思います。

ようやく愛しのマイコーヒーを手に入れたわけなんですが、おそらく三分くらいかかりました。自販機で飲み物買うのに三分もかかるとは。

それにしても早く一息つきたい。けどね、一つ気になることがあるんです。取り出し口を見ると、手に持っているコーヒーがあるんです。「あれ、僕の手元にコーヒーがあるのに?」

もう一度じっくり見たのですが、明らかにもう一本コーヒーがあるんです。神様からの送りものかと思って、ありがたく頂くことにしました。というわけで、取り出し口に手を伸ばしたんですよ。

またとれねぇ

ありえません。さっきよりさらに強固にガードされてます。またしばらく格闘したんですが、これはもう無理。

このまま続けたら間違いなく僕の指がもぎ取られますし、通りがかった人が見たら僕が自販機を荒らしているかのように見えます。

このまま続けると、新聞の三面記事に「自販機荒らしの男が勢い余って指を切断。」と華々しいデビューを飾る事になりかねません。

取り出せるように見えますが、無理です。写っていませんが奥にまだ何本か詰まってます。

手で触って確認すると、ペットボトルが3本以上詰まってました。ということは僕が最初に買った時点で、おそらく機械の調子が悪いのか何本も同時に出てきたみたいです。どおりで取れないわけだ。

ちなみにこの自販機にまつわるエピソードはもう一つあるんです。一年程前なんですが、午前中に千円札で飲み物を買って、お釣りを取り忘れたことがあったんですよ。八時間後くらいに気づいて取りにいったら、そっくりそのままお釣りがありました。どんだけ不人気やねん。

まったくあの自販機は魔の自販機だ。


追記
コーヒーを買って家に帰ったあと、わざわざデジカメを持って写真を撮りに行きました。しゃがんで取り出し口を写している時、通りすがりの夫婦に怪訝な顔をされました。泣きたい。


3/23 〜しながら

日記じゃなくて隔日記になってるような気がします。

小腹が空いたので、夜食を買いにコンビニに行きました。カップラーメンと飲み物そしてポテトチップを購入。ワインレッドの我がママチャリ「サイクロン」で家へと帰ります。

「それにしてもお腹が空いた、もう家まで我慢できない」
ということで、気づいた時にはポテトチップスの袋をバリッと開けてました。チャリンコに乗りながら、ポテトチップを食べるなんてすごく行儀が悪い。けどね、なんか旨いんですよ。いつもの1.3倍くらい旨かった(当社比)。もう夜なんで、あまり目立たないのをいいことにバリバリとポテトチップを喰らいながら、チャリンコを乗り回してました。

人が来る気配がすると、とっさに食べるのをやめて、「ポテトチップスなんて食べてませんよ ごめんあそばせ」という気品あふれる顔でスマートに駆け抜けていきます。

そういえば、小学生の頃はよくこうやって何かを食べながら、または飲みながら自転車に乗ってたました。駄菓子屋へいって買ってきたお菓子を家まで待ちきれずに、チャリンコに乗りながら飲み食いしてたもんです。僕が小学校の頃住んでいた所は田舎でしたので、車にもそれほど気を使わずに済んだんですよ。それにしても、もう僕は成人してるというのに、小学校の頃の癖が直ってないとは・・・

振り返ってみると、小学生の頃は何かをしながら移動する子供だったと思います。学校の帰り道なんかは、もういくら時間をかけて帰ってもいいじゃないですか。よく石を蹴りながら家へ帰ってたと思います。手ごろな石を見つけては、それをいかに溝に落とさずどこまで蹴りつづけていられるかよくやってました。いつのまにか夢中になってスゲー熱くなってた。この石を家まで蹴り続けられたら「のぞみちゃんが僕の事を好きになってくれる」とか何かご褒美を勝手に自分で決めて一人でエキサイトしてた僕。うっかり落としてしまった時は、「もう一回だけチャンスがある」とかルールをねじ曲げてまで挑戦するのめりっぷり。

石が無いときは給食袋を蹴りながら帰ってました。右手で紐を持ってリズムよくリフティングの真似事のようにして蹴ってました。どうやら僕の「〜しながら」という癖はタチが悪く色々な場面で発揮されてました。

漫画を読みながら自転車に乗ることにも挑戦したことがあります。自転車の操作はハンドルの上に乗せた両肘で行います。何とか漫画は読めるんですが、困ったことにブレーキをかけることができないことに気付きました。肝心の漫画の内容は、自転車の操作に気をとられて全く頭に入らないということに気付き、僕の自転車に乗りながら漫画を読むという挑戦は失敗に終わったのでした。

一番無謀だった挑戦は目をつむりながら自転車に乗ることでした。友達と移動している時に、何をトチ狂ったのか僕は10秒くらいなら目をつむってても自転車に乗れるんじゃないかと思ったんです。僕は、自分の自転車テクニックに自信がありました。手放し運転なんて朝飯前ですし、ちょっとアクロバティックな乗り方もできました。自分の力を信じていた僕は、目をつむって少し早めに十秒カウントしました。

そしたら意外とできるもんなんですね。僕の自転車はまっすぐきちんと走っていました。「なんだ簡単やん」と
自分の力を過信してしまった僕。「今度はゆっくり十秒数えてみよう」と今考えると自殺覚悟の荒業に挑戦することにしました。さっきの成功に気を良くした僕は早速目をつむり「1ー、2ー、3ー」と心の中でカウントを始めます。

「4ー、5ー、6ー」と順調に走り続ける僕。「なんだー簡単だぜー」と自分のテクニックに酔いしれていました。

「7ー、は」 ズゴゴゴォーン

すごい衝撃でした。いきなり地面が陥没したかと思いました。ゆっくりと目を開けると、ものの見事に溝にハマッてました。僕専用の溝かと思うほどジャストフィットしてた。すごい轟音にびっくりした友達が駆けつけて来ます。激しく溝にハマッた僕ですが、幸いにもあまりスピードを出していなかったことと自転車の前カゴがガードとなって奇跡的に無傷でした。

友達は「どうしたんだよ、いきなり凄い音するからびっくりしただろ」とか「大丈夫か?」と声を掛けてくれます。けど僕は、溝にハマッたまま引きつった笑顔で「いや、ちょっとクラクラしてさ」なんて慌てて言い訳をしてました。キャプ翼の三杉君のようなキャラだったら違和感がないんですが、僕は健康そのもので目まいなんてこれっぽっちもしたことありません。

どれだけ目をつむって自転車に乗れるか挑戦してたなんて、間抜けすぎて言えません。委員長だって務めたことがある僕の知的で利発なイメージが損なわれるじゃないですか。

それにしても無駄に長い日記です。ふと気付いたんですがこの日記を、タバコを吸いながら、テレビを見ながら、音楽を聴きながら、書いていました。子供の頃の癖っていつまでも抜けないもんなんですね。


3/24 遊ワク・遊ビバ!

最近よくお酒を飲んでしまう。今日もキリンの発泡酒を二本。

「遊ワク・遊ビバ!」 という番組があるんですが、これがなかなか面白い。出演者はkinki kidsの堂本光一、ヒロミ、高田順次、TIM、ユンソナ、山田花子、平山綾など。関東では日曜のお昼に放送してるみたいですが、我が関西では水曜の25時というかなりの深夜に放送しております。

日本全国に繰り出し大人数で旅先の街をワイワイと闊歩して遊ぶ・食べる・観るといったなんとも羨ましい内容なんですよ。今回はワカサギ釣りしたり、天ぷらを揚げてたりしてました。ノリが修学旅行って感じで見てると、一緒に行きてぇーってなります。

僕は修学旅行の雰囲気が好きなんですよね。みんな気分が高揚していて、ただ街の中を歩くだけでも楽しいし、普段はあまり仲良くしてなかった友達や女の子と仲良くなれたりとか、とにかくワクワクした感じがたまらないんです。

ちなみに僕は小学校と中学校の修学旅行先が全く一緒でした。というのも、中学生の時に転校したからです。京都、奈良、大阪でほとんど同じ観光名所を見てまわる羽目に。けど楽しかったなぁ。いまだに、修学旅行でつくった清水焼の湯のみを使ってます。ヘタクソな絵が描いてあるんですけど、なかなか味があっていいかもしれない。

「遊ワク・遊ビバ!」はもうすぐ最終回みたいです。面白いと思うのになぁ、残念だ。


3/26 移転&タコ癒されるなぁ 

移転作業してたら疲れました。
何とか無事完了したのでこれからもよろしくお願いします。
なかなか思うようなデザインができないので、これからもちょくちょくいじっていくかもしれませまん。生温かく見守ってやって下さい。

すき通ったタコ、深海から迷い出る?静岡・沼津
asahi.com http://www.asahi.com/science/update/0326/001.html

深海にすむ透明なイイジマフクロダコが静岡県沼津市の大瀬崎沿岸に現れ、地元のダイビングインストラクター栗原友彦さん(36)がカメラに収めた。体長3センチほどの若い個体。これまでは、調査船が深海で網を引いた際にかかったことがある程度。深海からわき上がる潮の流れに乗って、偶然現れたらしい。

このタコを見て少し疲れが癒されました。クリオネを彷彿とさせますね。飼えるものなら飼ってみたいけど、どうやらなかなか希少なタコのようですな。
見ての通り、頭でっかちで足が短く足の力が弱いみたいです。透明なのは見つかりにくくするためなのかぁ。
どんな気持ちで泳いでるんだろうなぁ 何も考えてないか。

3/28 うどん

お昼ご飯はカレーうどんでした。冷蔵庫の中にスーパーで買っておいたレトルトのカレーうどんとうどん2玉があったわけです。そういえば、ここ数年うどんブームですよね。わざわざ香川までうどんを食べ歩きにいったり、花まるうどんなどのチェーン店の出店ラッシュとか。あと東と西ではうどんのダシの味が全く違いますよね。僕は断然西の味が好きです。

お湯を沸かしてただ単に温めるだけなので5分程で完成しました。味のほうはというと、まあまあかな。そりゃスーパーで買ってきて温めただけだもんな。特にうどんの麺のコシがなかった。茹ですぎたわけでもないのにコシが全くない。僕はですね、もっとブリンと歯ごたえのあるうどんが好きなんですよ。

というのも僕は昔、香川県に住んでたことがあるんです。香川といえばうどん、うどんといえば香川。っていうか香川県って讃岐うどんしかねえんじゃないの?と日本全国に認識されている香川県ですよ。

讃岐うどんの真髄はその麺のコシにあるといっても過言ではありません。うどんの麺自体が美味しいので、あまり手をかけない食べ方がポピュラーなんですよね。茹でたうどんを水で引き締めて、大根おろしと生醤油をかけただけのぶっかけうどんや(ぶっかけって聞くと他の事想像するよね)、釜揚げしたうどんをつけ汁でいただく釜揚げうどんなど、うどんそのものをシンプルに味わう食べ方が多いのは香川県ならではです。

こういったうどんの国に住処をかまえていた僕が、ふにゃふにゃのうどんなんて食べることができない。もう頬に涙が伝わってたね。どうにかして美味しく食べれないかと思って、とろけるチーズを加えてみたら意外と美味しくなりました。インド人もびっくり。カレーうどんにチーズて、どんな無国籍料理やねん。

僕の冷凍うどんのお勧めはカトキチですね。うどんの国香川公認の冷凍うどんです。香川を離れた者たちはカトキチの冷凍うどんを食べて涙するとかしないとか。

おまけ 釜玉うどんのつくり方  
1 冷凍うどんをたっぷりのお湯で茹で上げる
2 茹でたうどんを冷水にさらす(うどんのぬるぬるがとれ、なおかつコシが強くなる)
3 冷水にさらしたうどんを再び軽くお湯にくぐらせる
4 あとはどんぶりにうどんを入れて玉子と醤油を加え、かきまぜる(ネギなど薬味はご自由に)
5 素早く一気に喰らうべし


3/29

バイトの夜勤明けの酒は旨いぜっ イエィ!
これからお仕事のある方は頑張ってくださいね。7:50 AM

うおー朝からほろ酔いだぜ イヤッフー8:13 AM

Modern Syntaxさんのblogでは泥酔blogという、BSキーなしというルールを設けたブログをたまにやってらっしゃるんだけどこれが面白い。やべーBSキーを押しまくってます。8:50 AM

上↑の文章をほろ酔い状態でBSキーなしで打ったらこんな感じでした。
MOdarn syなtxnさんのboologdeha泥酔bologという。NBsキーなしというルールを設けたぶろkぐをたまにやってらっしゃんるだけどこれが面白い。yabeBsキ^を押しマスクってます。8:54 AM

うん、ひどいね。読めたもんじゃない。BSキーを押さないとまともな文章が掛けないぜガハハ8:58 AM


3/31

いやー暖かいですね。外に出ると春のぽかぽか陽気が気持ちいい。

自転車に乗って買い物に行ってきました。ママチャリで颯爽と駆け抜けて行く僕は風と一体になってたね。むしろ、僕自身が風じゃねぇの?って感じですよ。もうね、スピードの向こう側が見えたね。っていうかスピードの向こう側ってどこやねん。

実際はゆっくりとペダルを漕ぎながら走ってました。安全運転第一、手信号は欠かしません。僕の勝手な思い込みかもしれないんですけど、自転車のペダルを漕ぐ速度と変わった人ってのは比例の法則が当てはまると思うんです。これは高校三年間自転車通学をしてきた僕が導きだした法則なんです。

明らかに急いでいてスピードを上げて走ってる人は別に問題ないんですよ。危険なのは、普通の姿勢でお澄まし顔なのにペダルを漕ぐスピードが尋常じゃない人。妙に背筋が伸びていてすごく姿勢がいいわけ、なのに下半身の動きだけが物凄く早いの。車輪の音もシャーーーーーーーってやばいサウンドを奏でてるの。これ、危険。ダメ、絶対。まるで上半身と下半身が別の生き物のようで恐いんです。

そういう人ってのは、実際に話したりしてみるとかなりの確立で変わった人が多いんです。話しが噛み合わないことが多々あって、しかも相手は自分のペースで早口でまくし立ててくるもんだからお手上げですよ。

実際高校のクラスメートでその典型みたいな人がいて、アニメとかゲームのすげーコアな話ばっかりしててついていけなかったもんな。おまけにクラスで作った文集の中で「授業中、後方から宇宙の電波をキャッチしました」とか意味不明なこと書いてたもんな。

なんて考えながら、自転車に乗りながらニヤけている僕がいました。てゆーか公道で一人でニヤけている僕が一番怪しいな。

さらに飲み物を買いに寄ったコンビニで、鏡に映る僕を見て唖然としました。なんかね、頭がスーパーサイヤ人みたいになってるの、もしくはパイナップル博士みたいになってるの。そういえば、出かける前にワックスをつけていったなと。本来はワックスって髪の毛をセットしてお洒落さをアピールするためのものじゃないですか。なのにさ、僕の場合は逆に寝グセみたいになってるわけ、髪の毛をセットしていったはずが、いつのまにか寝グセを華麗に演出しちゃってたわけですよ。

そのことに気付い時は、もう呆然としてたね。手に持ってた商品を落としそうだった。もうね、ルンルン気分で買い物に行ってた自分を思い出すと顔から火が吹き出す勢いだったね。季節が春というより、僕の頭の中が春ですよ。きっとレジのお姉さんも「何この人寝グセバリバリじゃん ウププ」と思ってたに違いない。

結局、雑貨屋さんとか本屋さんを見て周ってきたわけなんですが、購入したのは真っ白な陶器のマグカップと聖闘士星矢(セイント・セイヤ知ってますよね?)三冊です。雑貨屋さんのほうなんですが、アジアンテイストな雑貨を揃えた新手の100円ショップでキッチン用品が特に充実しています。従来の百円ショップと比べると、商品がシンプルなデザインでなかなかお気に入りです。探してみたらサイトがありました。NATURAL KITCHEN http://www.amuseful.co.jp/natural_kitchen/

さて聖闘士星矢を読み終えた頃には多分僕も小宇宙を燃焼させることがきっとできるはず。第六感を超えるセブンセンシズを手に入れる日もそう遠くはないはずだ。意味不明